広町緑地の歴史 ~こうして広町の森は守られた~
まず最初に鎌倉の市民による緑地保全の歴史から、、、、
●1960年代
宅地造成ブーム・鎌倉市の緑地率70%
●1964年代
「御谷(おやつ)騒動」・・・鶴岡八幡宮裏手に持ち上がった宅地造成計画をストップさせるため、地元住民が中心となって反対運動を起こし、開発を差し止めた。多くの著名人が運動に参加、市民や僧侶たちがブルトーザーの前に立ちはだかった。日本最初のトラスト運動と言われる
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以下が広町緑地保全の歴史です
●1973年
新鎌倉山の主婦が測量の様子に気づいた! 「山が開発されちゃうかも!」 これに反対して近隣の市民が立ち上がり、手探りの開発反対運動が始まる
大手開発業者3社が所有地38へクタールの開発計画を鎌倉市に提出して広町緑地の一部開発を開始
●1979年
話し合いを重ねた結果、自治会で取り組もう!となり、 新鎌倉山自治会の総意で「広町の山を守る会」(通称:緑の会)を設置。「開発を食い止めるには、委員会だけでなく住民一人一人が自分の問題として受け止め、運動に積極的に参加することが大切である」 開発反対運動とともに、広町の森に親しむイベントを開始
鎌倉市に最初の陳情
●1983年
事業三社が新宅造計画(広町の40㏊に600戸の住宅建設計画)を市に提出 「緑の会」が広町開発反対6万人の署名(寄付も65万集まった)を集め鎌倉市に陳情→議会で陳情は採択されず、「継続審議に」
●1984年
広町周辺自治会・町内会により「鎌倉の自然を守る連合会」結成
●1985年
第一回市民集会開催→「決議文」を採択、連合会に七里ガ浜2丁目自治会、鎌倉山町内会、鎌倉山若松自治会、諏訪ケ谷町内会が加入
●1986年
「緑保全に関する調査研究報告書」を作成、配布 広町の森は、年間1億8000万程度の環境便益をもたらしていて、それに塩害防止、美観、教育的価値などを含めれば2億円の額になる。
50年、100年先を考えれば、広町開発によって失われる損失は、100億以上になると数字で示し、宅地分譲で得られる利益とは比較にならないことを証明。
鎌倉市として「鎌倉市緑地保全基金制度」発足
●1990年
連合会より緑地指定を請願する12万人署名を神奈川県に提出
●1992年
連合会に新たに七里ガ浜自治会が加入
県の環境評価書で広町の森は自然生態、森林形態ともに最高のA1ランク評される
●1995年
鎌倉市に「緑地保全条例」制定を求め、22万人署名陳情書が市議会に提出
●1996年
事業者の開発許可申請を市が不許可
●1997年
鎌倉市議会は「緑地保全条例」を可決
●1998年
事業者は開発手続き凍結の解除を請求、不可なら市に対する訴訟を表明
「鎌倉の自然を守る連合会」は、加盟自治会・町内会を中心にトラスト運動※を展開
「NPO法人鎌倉広町・台峯の自然を守る会」発足 その後独自のトラスト運動を展開
「広町のみどりを守る会」発足
●1999年
事業者による全22回の住民説明会が開催され、延べ850人の住民出席
●2000年
連合会に七里ガ浜町内会が参加を決定
連合会は、広町に隣接するすべての6自治会、2町内会(世帯総数4,500戸)で 構成されることとなった。
鎌倉市は広町、常磐山、台峰の三緑地の保全の意向を発表。議会は広町を都市林として 保全する「広町の緑地保全に関する決議」を採択。
「鎌倉広町みどりトラスト」3000件、3,000万円目標ラインに到達。
●2001年
「鎌倉の自然を守る連合会」は、トラストへの協力を広く市民に訴えるため 「鎌倉広町みどりトラスト」パンフレットの各戸配布を展開し、市内約4万戸を超える 連合会が広町緑地の時価鑑定結果(74億3,500万円)を鎌倉市に提出。
●2002年10月
鎌倉市議会は、市民の声を受け入れて、神奈川県の協力を得て「都市林」公園用地として 約113億円という多額の公的資金の支出により業者が所有する緑地の全面買収を可決しました。 市民による長年の粘りつよい開発反対運動により、広町緑地が守られた。
●2004年
鎌倉市より(仮称)鎌倉広町緑地基本構想が発表される。
「鎌倉広町みどりトラスト」より保全費用への充当として鎌倉市に3,215万円、 神奈川県のかながわみどりトラストに100万円寄付。
●2015年
都市林として開園 全国にも稀な市民が主体的に関われる森へ